我慢することの大切さを正当化することに疲れました。
我慢するということはとても大切なことです。
それは、日本人にとって美徳です。
我慢できない人は人間として未熟です。
私は、そうやって自分を正当化することに疲れました 笑
我慢することって一言で言わないでくれる?
我慢する。
日本語では、忍耐とも言えますね。
さて、この我慢しなさいという言葉ですが使い方によってはただの言葉の暴力になりますよね…
今回は、2つの我慢の話です。
我慢するというのは必要なことなのか?
我慢するというのは日本人にとって美徳であると言われていますよね?
しかし、私はそこまで美徳だとも思っていません。
むしろ、悪しき日本の習慣であると思っています。
というのも、その我慢に何の意味があるのか?
と思う我慢がこの日本には存在しているのです。
私は、日本人はレッテル張りが好きな人種だと思っています。
言葉の本質や物事の本質ではなく、その言葉の持つイメージや雰囲気に流されて色眼鏡で物事を見るというものですね。
例えば、
「あの人、宗教をやっているんだって…」
と言われたら、あなたはどう思いいますか?
少し引くんじゃないでしょうか?
しかし、世界の8割以上は何がしかの宗教に入っています。
ですので、“あの人”が宗教に入っているというのは、あの人男性なんだってというよりももっと自然なことです。
人間の約半分は女性ですからね。
“あの人”が男性である確率よりも“あの人”が宗教をやっている可能性の方が高いのです。
しかし、日本で“宗教”と言うと“新興宗教”とか、オウム真理教みたいなもののイメージが強いと思います。
ですので、“宗教”と聞いた瞬間になんとなく身構えてしまうわけです。
この現象と同じように、我慢と聞くと出来ないといけない、出来たら偉いという風潮があると思います。
しかし、何でもかんでも我慢すればいいとは私は思えません。
例えば、無能な上司のくだらない話を我慢して聞く。
これが出来て何が偉いのでしょうか?あなたはこの我慢で何を得たのでしょうか?
もちろん、ここで我慢しないのが偉いという訳でもありませんが、この我慢というのはただ問題を先延ばしにしただけですよね?
多分、明日も明後日も無能な上司はあなたにくだらない話を繰り返してあなたは我慢を繰り返すでしょう。
なぜ、こんな話をするのかというと我慢には意味のあるものとないものがあるということですね。
もう一つの意味のある我慢は、
目標があって頑張っている人がいます。
その目標のためには、実は我慢しなければいけないものも出てくるんですね。
スポーツで言えば、基礎練習と体力づくりなんかが目標の為の我慢ということになります。
スポーツでも色々ありますが、たいていは試合形式の練習が一番楽しいです。
しかし、上達したかったら基礎練習もおろそかに出来ないし、試合中に常にいい動きをするために体力づくりも欠かせません。
ですが、体力づくりのランニングとかって退屈なんですよね・・・
元陸上部の私が言うので間違いありません。
ずっと走るのは本当に退屈です。
しかし、それを我慢するからこそ近い将来にしっかりと自分にプラスになって帰ってきます。
これは、我慢した甲斐があったというものでしょう。
何かを成し遂げるためには自分が乗り気でないことや辛いと思うこともやらないといけない時があります。
しかし、それを我慢することで得られるものがあるのであればその我慢はどんどんしていくべきではないでしょうか?
我慢することだけ覚えなきゃいけないの?
この様に、我慢には2種類あります。
お金や時間には浪費と投資があるとこの記事で言いましたが、
我慢にもこのことが当てはまると思います。
先ほどの例だと、上司の顔色を伺って我慢するのは浪費です。
あなたが不快感を押さえて我慢しても何も改善しませんしあなたが何かを得ることもありません。
その我慢であなたが出世するならそれは我慢した甲斐があったというものですが、仕事の成果ではなく上司が感情で昇進を決めるような企業で昇進しても嬉しさ半分不安半分といったところではないでしょうか?
そんな、何の価値もない我慢をうまくする為の努力は楽しいでしょうか?
それで、本当に幸せになれるんでしょうか?
それをするくらいであれば、将来自分の力になる何かのために投資としての我慢をして下積みをし、
もっと楽しくて楽な人生を掴み取る努力の為にその忍耐力を当てるほうが賢いと思います。
あなたの今日の我慢は一体どんな我慢でしたか?
浪費になりそうですか?
それとも投資になりそうですか?
私は、自分の人生を自分の力で良くしていこうとしている方を応援しています。
あなたの我慢がいつか実を結び果てない波がちゃんと止まることを祈っています。
そのために私のメルマガの情報がお役に立てば嬉しいです。